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2009年2月27日
二次試験
国公立大学の前期日程の二次試験が終わりましたね。
受験生の皆さんお疲れ様でした。
私も当時のことを思い出します。初めて名古屋へ来て、初めてホテルのレストランで一人でご飯を食べ、初めて地下鉄に乗りと、まあ初めてづくしでした。
テスト前までは、多少の緊張もあったと思いますが、なぜかテストが開始した途端に、すごく集中して問題を解いていました。
今まで勉強してきたことに対する自信と、自分のやってないことが出題されても他の受験生も出来るはずがないという妙な割り切り感があったのを今でも覚えています。
私は高校3年の時に文転(理系から文系に移ること)したのですが、それからというもの高校では、ひたすら授業中に全国の大学の入試問題を解いていました。しかも、文転する人は学年でも4人しかいなかったため、問題の答え合せの当番が4回に1回まわってきます。普通のクラスなら30~40回に1回くらいです。だから解いた問題数で言えば、かなりの数になると思います。
その絶対的な量をこなしたという自信が、二次試験でも緊張することなく落ち着いて集中して取り組めた原動力になっていたんだと振り返ってみて思います。
「量は質を凌駕する」じゃないですが、合格の確率を高める方法は、量をこなすことだと思います。
勉強方法など質的な部分が重要なのは否定しませんが、あれこれやり方を考えている間に問題を解けば、やった分の差がつきます。それも積もり積もれば大きな差となってあらわれてきます。
それが最終的には大きな自信となります。
人は自分がやった以上の成果をだすことはできません。ならば、明日からでも、やる量を増やして、「やった」という実績を重ねていって欲しいと思います。
2009年2月26日
セレンディピティと「放つ、待つ、育つ」
セレンディピティ。偶然の出会いという意味の言葉。脳科学の分野で良く使われている。ひらめきというのはセレンディピティと深く関係しているらしい。
世紀の大発見とか大発明には、このセレンディピティが大きく関わっているらしい。ノーベル物理学賞を受賞された小柴昌俊先生もその一人。先生は、幾重にも重なるセレンディピティを経て、ノーベル物理学賞にたどり着いた。
でも、運が良かっただけで、ノーベル物理学賞を受賞できたのではない。先生は、
運と言うのは、誰にでも平等にやってくる。しかし、その運をつかめる者は、用意周到に準備をしてきた者だ
というようなことをおっしゃっていた。
セレンディピティを起こすには、失敗も含めたたくさんの経験と"すきま"が必要だ。"すきま"とは、こころの余裕のようなもの。焦っている時は、追い詰められている時、こころにゆとりがない時は、セレンディピティは起こらない。また、経験が不足していると、セレンディピティが起こる可能性はきわめて低くなる。
このセレンディピティが起こる要素は、教育にも通ずるものがある。教育での私が好きな言葉で、
放つ、待つ、育つ
という言葉がある。子育てには、子どもに自由にやらせて、その子をじっとに見守る。そうすることで、子どもは育つということ。
子どもを育てていくためには、頭ごなしに情報を与えるのではなく、子どもが考えて、「なんでこうなんだろう?」という問いを発することを待ってみたり、自主性に任せて色んなことを経験させることは非常に重要だ。
教育という長い歴史の中で見いだされた"放つ、待つ、育つ"という言葉の真理が、最先端の脳科学という分野で科学的に裏付けられようとしていることは、すごく興味深い。(KM)
2009年2月24日
結果と経過どちらが重要??
自分自身は悩み続けるという一点で、医者であり続けられる
白い巨塔で里見脩一浪速大学医学部内科助教授が財前五郎浪速大学医学部外科助教授に対して言った言葉。
これに対して、財前は、何か確実なものがほしいから教授のポストが欲しいと言っていた。
里見は経過を重要視し、財前は結果を重要視する。生き方のスタンスは違えど、生きる目的はもしかすると同じなのかも知れない。
平本先生(柔道金メダリスト石井選手のコーチ)の本の中で、結果を大事にする人と経過を大事にする人の2パターンがあって、どちらがよくでどちらが悪いと言うことではないというようなことが書いてあったことを思い出す。
生きる目的とか目標がしっかりしていれば、あとはその過程において、結果(テストの点数)を重要視するのか、経過(テストに臨むまでの準備や勉強への姿勢)を重要視するのかの違いだけ。生きる目的がしっかりしていなくとも、この2つのアプローチに優劣はなくて、どちらも正しい。目標を設定して、目標達成のために死ぬほど勉強しろ!っていう指導者もいれば、吉田松陰先生のように、今できることをやりなさい、至誠を貫きなさい!という指導者もいる。
さて、私たちとしては、
経過を重視したい
と考えている。
塾・家庭教師の生徒の場合、元のレベルがマチマチ。そのため、地元有名高校に合格させたとしても、もともとできが良かったのかどうかでその実績が評価に値するかどうかは違ってくる。
大手塾は、基本的には入塾テストで良い生徒を獲得して、そのまま合格実績としているところが多い。私も大学入試の時にとある塾のセンター試験プレテストというテストをセンター試験直前の1月に受けたら、その結果を見て、奨学金のご案内がその塾から届いた。優秀な成績のものには100%の奨学金が送られていた(要するに、タダでその塾に行ける権利がもらえた)。
また、結果だけに走ると小手先でものを教えたり(ヤマをはって詰め込む)、結果の原因を指導者の責任外のこととして指導者があきらめ、適当に指導したりすることもある。
結果は重視しなければならない。落ちたら元も子もないのだから。でも、周りから支える立場としては、経過を重視したい。経過を評価してあげて、やる気を引き出し、勉強の仕方などの改善を促し、そして最終的には結果につなげたい。
因果応報
という言葉がある。全ての結果には理由がある。だから、よい結果がでるように周りの人たちが経過をサポートしてあげれば、自ずと結果はついてくると思う。(KM)