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2009年2月26日
セレンディピティと「放つ、待つ、育つ」
セレンディピティ。偶然の出会いという意味の言葉。脳科学の分野で良く使われている。ひらめきというのはセレンディピティと深く関係しているらしい。
世紀の大発見とか大発明には、このセレンディピティが大きく関わっているらしい。ノーベル物理学賞を受賞された小柴昌俊先生もその一人。先生は、幾重にも重なるセレンディピティを経て、ノーベル物理学賞にたどり着いた。
でも、運が良かっただけで、ノーベル物理学賞を受賞できたのではない。先生は、
運と言うのは、誰にでも平等にやってくる。しかし、その運をつかめる者は、用意周到に準備をしてきた者だ
というようなことをおっしゃっていた。
セレンディピティを起こすには、失敗も含めたたくさんの経験と"すきま"が必要だ。"すきま"とは、こころの余裕のようなもの。焦っている時は、追い詰められている時、こころにゆとりがない時は、セレンディピティは起こらない。また、経験が不足していると、セレンディピティが起こる可能性はきわめて低くなる。
このセレンディピティが起こる要素は、教育にも通ずるものがある。教育での私が好きな言葉で、
放つ、待つ、育つ
という言葉がある。子育てには、子どもに自由にやらせて、その子をじっとに見守る。そうすることで、子どもは育つということ。
子どもを育てていくためには、頭ごなしに情報を与えるのではなく、子どもが考えて、「なんでこうなんだろう?」という問いを発することを待ってみたり、自主性に任せて色んなことを経験させることは非常に重要だ。
教育という長い歴史の中で見いだされた"放つ、待つ、育つ"という言葉の真理が、最先端の脳科学という分野で科学的に裏付けられようとしていることは、すごく興味深い。(KM)